小説家の村上春樹について面白い動画を見つけました。
ラジオで爆笑問題と小説家・村上龍が対談している動画です。
村上龍と村上春樹の違い。
村上龍と村上春樹はデビュー時期が重なっています。年齢も近いですし、当時は「W村上」と言われ、有名になりました。
ラジオの中で村上龍は村上春樹は「自意識の揺れ」を扱っていると言っています。
「自意識の揺れ」とは例えば10年前にこんな出来事があって(あの出来事が自分にとって重大な意味を持つのか?)悩んだり、心の細やかな動きのことで、村上春樹の小説ではそれがテーマと言えます。
それとは対照的に村上龍は「自意識の揺れ」を吹き飛ばすようなものをテーマにしています。例えばセックス、戦争、革命など。両者は対照的であり、比較しやすい作家です。
村上春樹作品の若者っぽさ
太田光は「自意識の揺れを」小説のテーマにしている村上春樹作品は若者っぽいと言っています。
実際村上春樹の読者は10代から30前半までの読者が多く、それより上の年齢の人はもともと読者であっても離れていくと村上春樹本人もエッセイの中に書いていました。
ふつう、小説の読者は作者と同年代で、共に年齢を重ねていき、ファンの年齢層も変わらないことが多いです。
その点で村上春樹は特異な作家だと思います。
自意識の揺れの先に答えはあるのか?
村上春樹は観念的であり、村上龍は現実主義であるとも言えます。
ラジオの中で村上龍は会社をクビにされて、電車に飛び込むオジサンがいたら、「自意識の揺れ」ではなく経済的なものだと思うと言っています。僕もそう思います。
逆に若い人が自殺する理由としては「自意識の揺れ」、心理的なものが多い気がします。村上春樹の作品が若者に読まれる理由はここにあるのでしょうね。
僕は10代20代を悩んで過ごしてきたけれど、その悩みっていうものは「自意識の揺れ」的な悩み(僕の場合は自身の高すぎるプライド)と経済的なこともありました。
僕は要領が悪くて仕事が苦手でした。コミュニケーション能力も低いもんで、会社に行くことが苦痛で仕方なかったです。
ここでもし、僕が自分の仕事に自信と誇りを持ち、しっかり稼げる人間であれば、そうやって悩むこともなかったのかもしれません。
仕事が出来なかったり、最低時給で労働したりする毎日は苦しいのです。
そして、そういう状況を悩む。結局、「自意識の揺れ」と経済的、現実的なものは繋がっている気がします。これは私の場合ですけど。
村上春樹の作品の登場人物は高学歴だったり、見た目が良かったり、自分で仕事もこなせて、私が悩んだような悩みとは違っていることが多いです。
登場人物の悩みは社会的には満たされているけれど、その状況を悲しんだり、自殺したりします。
つまり社会的な経済的なことは一切関係ない、内面の、「自意識の揺れ」だけで自殺してることになります。
僕の実感としては日本人が「自意識の揺れ」だけで自殺することは少ないんじゃないかなと思っています。その悩みは社会や他社、世間の目というものが根深くあるように思うのです。
村上春樹が外国で人気なのは欧米人のほうが「自意識の揺れ」による悩みがあるんじゃなかろうかと考えていて、外国人のほうが「個」を重視する文化ですから、個人主義が確立されており、そのために純粋な「自意識の揺れ」を苦痛に感じる人が多いんじゃないか?というのが私の意見です。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
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